箱庭ぷら〜な近隣は
豊かな自然でいっぱい

最寄駅の叡山電鉄「修学院駅」を降りると比叡山がすぐそこにあります。ここ一乗寺のあたりは豊かな自然に恵まれた風景が広がっており、心地良い時間を過ごすことができます。
歴史ある場所も多数ありますので、サロンへお越しの際は周辺の自然散策もお楽しみいただけます。

アクセス/周辺紹介

鷺森神社

鷺森神社(さぎのもりじんじゃ)は修学院宮ノ脇町にあります。

毎年5月4日・5日に例祭「神幸祭」(さんよれ祭)が行われます。古事記で素盞嗚尊が詠んだ最古の和歌「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を」にちなんだ石があって、夫婦和合や家内安全のご利益があるのだとか。

元は比叡山麓に祀られていましたが、応仁の乱で被災し、今の場所に移されました。離宮造営の為、霊元天皇の思召しによって現在の鷺の社に社地を賜り、修学院の氏神社として今日に至ります。 森林浴や紅葉の名所として有名です。

雲母坂

雲母坂(きららざか)は、修学院離宮の脇より比叡山の山頂へ続く古道。

音羽川沿いの住宅街を抜けた先にかかる雲母橋が登山口で、浄土真宗の宗祖である親鸞聖人ゆかりの石碑が立っています。比叡山に向かう最短路なのですが、道が険しいため利用者は少なくなりました。
「雲母坂」の由縁は、この坂から雲が生じるように見えるためだとか、この地で雲母(うんも)が採れるからであるとか言われています。登山口付近に不動明王を祀る雲母寺(うんぼじ)があったことから「不動坂」とも、延暦寺まで勅使が向かう際に利用したことから「勅使坂」「表坂」とも呼ばれたそうです。

親鸞聖人が29歳の頃、比叡山を下って六角堂へと百日参籠を行うために下山した道だとされ、延暦寺の千日回峰行が行われる行者道でもあります。

曼殊院

曼殊院(まんしゅいん)は、天台宗の寺院で本尊は阿弥陀如来です。

門跡寺院(皇族の子弟が住持となる別格寺院のこと)であり、青蓮院、三千院、妙法院、毘沙門堂門跡と並び、天台五門跡の一つに数えられるそうです。曼殊院本古今和歌集など多くの文化財があり、黄不動は国宝です。紅葉の名所でもあります。

伝教大師最澄がいた平安時代に比叡山に造られた小寺院が起源だそうです。その後、現在の北山上京区への移転を経て、1656年に今の場所へ移されました。

詩仙堂丈山寺

詩仙堂(しせんどう)は、曹洞宗の寺院で本尊は馬郎婦観音(めろうふかんのん)と言います。江戸時代初期の文人石川丈山の山荘跡で、国の史跡に指定されています。

詩仙堂は、徳川将軍家の家臣であった石川丈山が隠居のため、59歳の時に造営した山荘で、丈山にちなんで寺名は丈山寺とされました。

詩仙堂の中心となる建物は凹凸窠(おうとつか)と呼ばれ、でこぼこの土地に建てられた住居の意味で、建物や庭園は山の斜面に沿って作られています。現在では三六詩仙(詩家36人)の肖像を掲げたことにちなんで詩仙堂と呼ばれています。
庭園造りの名手でもある丈山によって設計された庭園は四季折々の姿を楽しむことができ、特に春と秋は観光客で賑わいます。

圓光寺

圓光寺(えんこうじ)は、一乗寺にある臨済宗南禅寺派の寺院で、千手観音が本尊。創立者は徳川家康です。

家康の命により、日本における初期の活字本「伏見版」の印刷事業が行われました。紅葉シーズンは多くの人が訪れます。

圓光寺は学校でもあったため、家康から与えられた木活字を用いて、様々な儒学・兵法関連の本を刊行しました。これらの書物は伏見版、または圓光寺版と呼ばれ、使用された木製の活字が保存されています。日本最古の活字として重要文化財となっています。
明治時代以降は、尼僧の修行道場となっていた時もあったのだそう。

八大神社

八大神社(はちだいじんじゃ)は、一乗寺松原町にある神社。

1294年に一乗寺の産土神として祇園神社から勧請されました。
江戸時代初頭、吉岡一門数十人と決闘を行った宮本武蔵が、決闘を前に八大神社で願掛けをしようとしましたが、神仏に頼ろうとした自分の弱さにハッとして寸前にやめたという逸話が残っているんだそう。松の古木が保管展示されていて「この古木は、慶長九年(1604年)、剣聖・宮本武蔵が、吉岡一門と決闘せし、当時の松の木の一部である」と書かれています。

狸谷山不動院

狸谷山不動院(たぬきだにさんふどういん)は、真言宗修験道大本山の寺院。狸谷不動院とも呼ばれます。

平安時代、桓武天皇が都の北東(鬼門)に位置するこの場所に、不動明王を安置したのが始まりだとされています。宮本武蔵が狸谷山中で滝行を修し、不動心を体得したという逸話も。
1715年、木食正禅が入籠して3年間修業し、再興しました。木食正禅の参籠は足かけ17年にも及んだそうです。